状況が人を変える
そんな言い回しを聞いたことがあるだろう。本来の能力が発揮できずにいた人が、置かれていた環境や手順を変えるだけで、驚くような変化を遂げる。
では、状況が私たちに対して、牙を向けてきたらどうか。まさに殺しにかかってきてくる。
心理学者フィリップ・ジンバルドーもそのひとり。1933年米国ニューヨーク・サウスブロンクス生まれ。元々治安の悪い地域だったが、少年だったジンバルドーはある現象を目撃する。
悪事に走るものとそうでないもの。この2つの事例について観察した。治安の悪さは同じ。
ならばなにが?
答えは、叱っていくれる母親の存在だった。生まれ故郷から、状況が人を変えることを学んだ 。
大学に進み、研究者となったジンバルドー。1963年、のちに「権威への服従実験」と呼ばれるスタンレーミルグラム実験の発表と実体験から得た状況論を組み合わせて作り上げたのが、スタンフォード監獄実験。
結果に偏りのない平凡な学生を8人ほど選択。看守と囚人の2つのグループに分け、刑務所にみたてた部屋で実験を行った。はじめは、躊躇していた看守役が、次第に囚人を精神的に追い詰めていく。その有様をみてジンバルドーは、
ごく普通の人であっても他人を完全に支配できれば、たやすく悪魔になりうる危険性があるという事実 闇に魅入られた科学者たちp197より
研究者として、結果が取れたことに満足した彼だが、どこか欲望が舌を出す。このままの状況で続けたら・・・。
彼は次第に飲み込まれていく。実験前はつらつとした笑顔で会話していた看守役の学生が、実験になると人が変わったようになる。ジンバルドーの探求心は暴走をはじめた。
それを止めたのは恋人の存在だった。彼女は、
自分で作った監獄に自分自身が捕らわれている。この実験があなたを怪物にしてしまった。そのことに気づいているのか。 同書 p202
ジンバルドーは恋人の必死の説得で我に返り、実験をやめた。
彼はこのことを「研究者が監獄長へと振るまっていた」と後述している。世間の非難を浴び、一介の悪趣味な実験として終わるはずだった。
しかし、この実験の副作用が思わぬところで現れる。
2004年4月。イラク戦争が起きた年。バグダッド近郊・アブグレイブ刑務所にて、米軍がイラク人捕虜を虐待していた事件が発覚。
その風景に一番驚いたのは、ジンバルドー本人だった。にこやかに笑う青年が、国の違う青年を肉体的にも精神的にも痛めつけていた。かつてスタンフォード監獄実験そのものだった。
状況が人を悪魔に変える。「そんなの気が弱い人だけだよ」と笑い飛ばすかもしれない。
部活動、会社組織、先輩後輩・・・など。我々の社会に溶け込んでいる行いに抗えるだろうか。悪を悪と名指しできるだろうか。流れで見逃さないだろうか。罪の意識を捨てはしないだろうか。
なによりも我々は、状況で狂った人を咎められるのだろうか。
「参考文献」
闇に魅入られた科学者たち NHK出版 2018年
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