萬画家・石ノ森章太郎を訪ねて ~世田谷文学館編~

美術館・博物館・歴史館

世田谷文学館に行ってきた

偶然にも見つけたのが、石ノ森章太郎展。ちょうどサイボーグ009のアニメ(1968年度版)を観終わったところだった。009熱が冷めないうちに行こうとすぐに思い立った。(令和元年6月25日 訪問)

“萬”画家としての生き様

漫画家を志したのには2つの理由がある。

ひとつは、お姉さんを喜ばしたい。年少期から石ノ森は、自分のイメージを具現化する方法として、小説や映画(脚本)などを書いてきた。中でも一番の読者がお姉さんだった。しかし、お姉さんは23歳の時に夭折。上京してすぐのことだった。石ノ森自身、描く女性像がお姉さんに近くなってしまうと回顧している。

ふたつめは、手塚治虫の漫画に出会ったから。中学3年生の時に読んだ際に、衝撃を受けた。いわば、“一種の映画”だからだ。絵を追っていくだけで、まるで音楽が聞こえてくると。それに漫画なら、自分のイメージを表現するのに持って来いの舞台だと確信した。

描いた世界は多岐路に渡る。SF、友情、苦悩、哲学、死、果ては自らの人生そのものを題材にした。子供が読むもの“マンガ”から大人も読む“漫画”。大きく印象を転換させた偉人である。

サイボーグ009の原点

当初の目的は、サイボーグ009の展示目当て。だが、展示されている原画のひとつひとつを観ていくうちに、底知れぬ探究心の前に圧倒された。作品名だけを眺めても、漫画のひとつだよねとしか印象を受けないが、考えに触れてからは改めた。岡本太郎の時もそうだった。大阪万博の一大シンボル・太陽の塔が好例だ。パッと見は奇抜な塔。しかし、内部は“過去・現在・未来”と人類の歴史が俯瞰できる仕組みになっていたのだ(岡本太郎流だが)。

サイボーグ009は、野球のメンバー9人から来ている。器はわかった。では中身は?原点は、ジュン。正式名称は「章太郎のファンタジーワールド・ジュン」。驚くことに、ほとんど吹き出しがない。つまり、セリフが描かれていない革新的な作品なのだ。題材には、戦争と平和。善と悪。社会風刺。後年、ライフワークとまでなるサイボーグ009の大元が出来上がっていた。

萬画とは?

石ノ森章太郎にとって、漫画はあらゆるイメージを表現する舞台。1989年、「マンガ日本の歴史」を皮切りに新たな定義を立てた。それが萬画。

萬画宣言

一、萬画は万画(よろずが)です。あらゆる事象を表現できるからです。
一、萬画は万人の嗜好にあう(愛されるし、親しみやすい)メディアです。
一、萬画は一から万(無限大の意を含む)のコマによる表現です。従って萬画は、無限大の可能性を持つメディアである、とも言えるでしょう。
一、萬画を英語風に言えば、MILLION ART。MILLIONは百万ですが、日本語の万と同じく「たくさん」の意味があるからです。頭文字を継げれば、M・Aです。
一、M・Aは即ち“MA”NGAの意。

石森プロ公式ホームページより「萬画宣言」

どきりとしたこと

「わかってもらう努力はしたのか?」
もがいていた若き石ノ森にかけたお姉さんの言葉である。おもしろいと思える考えや作品は、誰しもに受け入れられると思いがちである。反応が芳しくないと相手のせいにしたがる。では相手に伝えるためにはどうするのか。
わかりやすくする。」
内容をバカバカしくするのではなく、表現をわかりやすいものに変えるのだ。例えば、サイボーグ009。9人(9体?)の戦士が世の中の悪と戦う物語。これが物語の軸である。それぞれの登場人物が抱える悩みや想いが作者の考えを代弁してくれる。読者にもわかりやすい。だからこそ、長く支持を集めやすい。

終わりに

今回、企画展示があったおかげで訪問できたが、まだ消化不良である。次回は宮城県にある記念館に行きたい。さていつになるか。

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